2015年2月 3日 (火)

一応。

放置していましたが、もったいないので一言。

過去ログに出てくる様々なカメラ、レンズはもう処分してほとんど手元にはありません。
この前の記事のシグマもです…時代はうつろいますね。
時代も季節も何もかも、人の心模様さえ。でも、変わらないものもあるんじゃないかな。それが何かは人それぞれ。ぼくはどうだろう。

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2012年4月12日 (木)

秋田の空を想う

札幌に住む母の姉、ぼくの叔母が亡くなった。

さきほど通夜の席から戻り、一人叔母を忍ぶ。

ぼくの母は8人兄弟で、すぐ上の姉を頼って秋田から札幌へ住んだ。
母も札幌で結婚したのは叔母の存在があったからだ。

叔母はしばらく子供に恵まれず、ぼくが生まれたときとても可愛がってくれたと聞く。
その後女の子、ぼくの従妹が生まれ、ぼくらは兄妹のように育った。

従妹はぼくの小学校時代の同級生と結婚してしまったのだが、その同級生とはとあることで疎遠になって以来、叔母の家へ行くことも少なくなってしまった。それでも叔母はいつもぼくのことを心配してくれ、ことあるごとに「早く再婚しろw」と囁いていた。従妹は二人の子供を生み、叔母の家で生活して孫に囲まれ幸せだったと想う。それゆえ、ぼくもあまり心配していなかったのだけど、病魔が襲っていたことを先日初めて聞かされた。

今日の通夜には秋田から親戚や叔父、叔母たちも来ると思っていたのだが、来られたのは神奈川に住む叔父だけだった。考えてみれば母の兄妹はみな高齢でなかなか動けないという。長兄は90になるわけだから致し方ない。神奈川の叔父は末っ子でまだ身軽に動ける年齢だ。

驚いたのは母が兄妹皆に電話をしたら異口同音に「姉さんが枕元に来た」と云っているらしい。ぼくはあんまり死後の世界というものを理解できないのだが、やはり兄妹の絆はあるんだろうなと目頭が熱くなる。たぶん、叔母は秋田へ帰りたかったんじゃないだろうか。

母と叔父がしみじみ話をしている時に「おばちゃんも秋田へ帰りたかったんじゃないか」とぼくは云おうと思ってやめた。嫁ぎ先の親戚などが居る前では云いにくかったのだ。いつか、母と叔母を車に乗せて秋田まで行こうと思っていたのだが、それも叶わなかったのが悔やまれる。

あれは数年前、秋田の有名な醸造元で購入した醤油と味噌を土産に叔母を訪ねたとき、とても喜んでくれて帰り際にお小遣いをぼくに渡してくれた。いい加減、そんな歳じゃないしと断ろうとしてもポケットにねじこんでくれたことが最後の想い出だ。

おばちゃん、秋田の空へ還ってね。

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2012年4月 7日 (土)

覚悟

Imgp2029昨年9月に車の事故により一部破損したカメラの修理が先日完成した。修理に要した時間が半年間かかったわけではなく、相手保険会社との決着に時間を割かれた、というのが実情。こちらの被害はハッセルブラッド本体とレンズ、D700水準器センサー不良、およびズームレンズがたつき。(ニコンのAF-S 14-24/2.8Gなので本当にヤバかった。比較的軽傷で済んだけど、ニコンに云わせれば「この手のズームはユニットごと交換しなくてはならないので修理代が高価になるおそれがある」と。最近のズームレンズは高価なものでもプラスチック鏡銅であり、ダメージを受けると怖い。なんだかなあ、それ)正直、カメラは道具であり嗜好品と云えるかどうかはその人の価値観にすぎないことが、こういうことでよくわかる。フィルムカメラなんか、もう完璧な嗜好品の部類なのかもしれない。フィルムを使うことが好き者扱いされるのは嫌だが、今時ねえ、なんて云われるとつらい。そのフィルムも市場がどんどん狭まり、コダックが破綻した時にある程度はやむを得ないと思ったものの、まさかリバーサルが全滅するとは思わなかった。モノクロやネガは供給続ける、ということだ。まあ、世界中のアーティストも困るだろうしね。

富士フイルムは以前、ライバルでもあり先輩だったコニカミノルタの写真事業撤退に寄せて異例のニュースリリースを掲げ話題になったことが記憶に新しい。(ちなみにこの文面を書いたのは元の同僚である)平成18年当時のリリースだけど、それからすでに6年も経ち、フィルムを取り巻く環境はさらに悪化していると思う。正直、ぼくは覚悟をしている。例え明日にでもフィルムがなくなっても歯を食いしばるしかないことを。どんなにフィルムを残したいと思ってもラボインフラがなければそれも難しい。フィルム用の乳剤、つまり薬品が製造中止になることもある。事実ベルビアはそれで一度生産を終了したのだが、再販売を望む声が大きくて代替えの薬品を使い復活させたのだ。

フィルムはネガというオリジナルがあることの安心感は大きく、とりわけモノクロでは絶対だと思うのだ。版画でいう版木である。デジタルはどうだろう。RAWがオリジナルなのだろうか?いや、コピーがいくらでも作れればそうとも云いがたい。でも、ぼくはデジタルカメラの誕生から関わって来ているから否定はもちろんしない。デジタルが問題なのは保存性だけだ。ええ、ネガより褪色もないしいいんじゃね?と思うだろうが記録メディアが問題だからだ。現在DVDが大量データ保存にもっとも手軽で便利だと云われているけど、残念なことに20年以上保存できるのか,今はまだわからないのだ。(そもそもDVDへ記録する物質変化の仕組みが解明されたのってつい最近だって、どういうこと?w)HDDは当然永久のものではないし、CDだって怪しい。その他消えて行ったメディアを揚げればかける機械がなければどうしようもない。

カメラもデジタルならずっと使える保証もない。使い続けたくてもメモリーカードがなくなったり、バッテリーが劣化して代替えが無くなったらその時点でおしまい。そもそもメモリーカードへ保存している画像だっていつかは消える。ってことは写真っていったい何なの?ってことだ。ハードに依存する写真はダメだ。いくら格好いいことを云っても記録にもならんってのは困る。写真は一過性の趣味や嗜好品で終わっちゃ困るんだよね。

そういう覚悟をいつも持って撮らなくちゃならんというのは、正直、疲れるんだけどね。考えなきゃいいじゃん,と思うがそうも云えない。いつかはぼくもこの世からいなくなるけど、その後の写真はどうなるのか。いいや、死んじゃったらその時点でもういいよwってのも寂しいよな。カメラへフィルムを詰めるとき、いつまでこの神聖な儀式が行えるのか、ぼくは気になって仕方がないんだけど、フィルム一本撮り終わる頃には忘れている。今はただ、ひたすら撮ることだけを考えようか。

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2012年3月21日 (水)

「まち」を旅するということ

P1010603和歌山へ行って久しぶりの西日本の風情を味わってきました。この感覚は三年前に訪れた岡山は倉敷の感慨に近い。倉敷と云ってもいわゆる美観地区ではなく、もっと人の営みが見える生活の場でしたが。まあ富山も西日本だから、そんなに昔のことという感覚はないのだけど、どうもこの一年は妙に過ぎてしまい、あの震災以前の感覚に戻れるのはまだ時間がかかりそうです。今回の旅は純粋な久しぶりの「まち歩き」かもしれない。

和歌山を選んだ理由は関空からほど近く、都会ほど混雑していないことという条件。どうもぼくは東京や大阪の大都市が苦手。札幌より大きなまちは敬遠気味になりますね。ともあれ、和歌山を選んだことは大正解でした。飛行機の都合上(往復500円だから文句は云えねえw)二泊三日と云えども実質、中一日しか自由に使える日がないわけですから移動に時間がかかるエリアは除外。今回は極力荷物を少なくし、時刻表もパソコンも持ってきていないので(フィルムカメラさえ諦めたw)さっと見られるエリアだけに。本当なら19日休めたら20日まで居られたけど滞在が延びると資金もキツいんで、まあ、いいでしょう。月曜は絶対に休めないからね。

詳しい映像はphoto:modeで随時アップするとして、和歌山市、海南市、御坊市、有田市、の四つの「まち」を撮影。この他、列車の窓から見えた湯浅町も最高に萌えたんだけど次回の楽しみにしておきます。よくまあこの少ない日程でこれだけ歩いたな、というのが結論。17日の土曜日は軽く三万歩以上歩いたと思います。特に海南市では地元の人でさえ「この短い時間でここまで歩いたね」と呆れられましたからね。だって和歌山県、良すぎ。東北のまちは、勝手知ったるわけですから「だいたいこのエリア」というのが決まっているんだけど、和歌山はまちがとにかく広いの。それに勘違いしていたのは、海岸付近に線路があって、駅があって、まちが広がっているという認識。全然、海がけっこう駅からは遠いし、そこからまちが海側へどーーーん、と広がってけっこう歩かないとまちの核心部へたどり着かないの。おかげで逆に「行けども行けどもキリがない」という結論。これは一カ所だけで一日軽くフィルム10本行けるんじゃないか。(実は似たような時にピーチで関西へたまたま行っていた若い旭川在住の写真家さんは三泊四日で関西を攻めて、フィルム20本以上撮ってましたね。それはもう凄いとしか云えないです)今回はGF3だけで撮影したんだけど、前日RAW+JPEG設定にしたはずなのに、カスタム設定で追い込んであったので、なんとJPEGだけになっていた。これ、痛い。けっこう露出なんかもラフに撮ってしまい、おおきなミスを連発。普段通りならもっと慎重だったのにな。おまけにピンぼけも多発。普段なら確認するのに、液晶モニタだけに頼ったこともあってあとから気絶。

それでも、かなり枚数は押さえたつもりだけど「まち」の表情をどこまで切り取れたかは、やや不満が残る結果でしたね。なんだろう、やはりフィルムで撮っている感覚と液晶モニタ頼りのミラーレスオンリーとは勝手が違ったかな。ほとんど標準のLEICA DG SUMMILUX 25/1.4でばかり撮ったけど、それは、まあいいかと思った。やはり標準が好きなんだなあ、自分。できれば35相当のレンズがあれば、また面白かったかもしれないが28相当の14も、ここはどうしても広角じゃないとダメだ、という場所でのみ使用したからいいか。とにかく路地裏がすてきだ。車もなかなか入れないような路地が多いのだけど、軽自動車文化万歳だね。アメリカは軽自動車を廃止しろと内政干渉しているけど、お前らこんな路地裏来てみろと。土地が広大で路地裏なんかねえだろ、お前の国はw

その路地裏にしっかり長い歴史があってコミュニティがもの凄い根付いていて、商店街があり、営みがあって、という至極真っ当なまちの匂いが素晴らしかった。ただし、日本のどこでも同じように地方都市は若者がいない。商店街もシャッターが下りているところばかり。郊外にある大型路面店ばかりが目立つ景色はもう正直仕方がないのかなあという気持ちにある。でも、頑張っているんだよね。市場が健在で店先でコロッケ揚げている光景なんか、もうやはりたまんなくてね。お年寄りが増えて、結局郊外へ買い物へ行きにくくなるなら再び小さな商店街を何とかしないとなりません。

そこですよ、大型スーパーの経営者さん。ビジネスチャンスはまだありまっせ。某流通大手も国内需要が伸び悩んでいることで、アジア圏の国へ出店してゆくそうだけど、もう少し日本でやれることがあるんじゃないのかな。ぼくは大きなヒントを掴みましたね。ああ、ぼくにお金があればやってみたいよwまあ、そういうことはともかく。あちこちのまちを旅して、まちへとけ込んで好きな場所を切り取って持ち帰るってことだけでも贅沢なんだけど、ぼくはやっぱり日本が好きだ。まだ撮らねばならない光景、逢いに行きたい風情がいっぱいある。歳のせいなんだけど、もう残されて自由に旅が出来ることは何年あるんだろうかって考えたら欧米への憧れなんか吹き飛ぶね。写真家として何を見て何を撮るかって。海外の写真は、もう撮りたい人に任せるんで、やっぱり日本人が見て、共感できるものを撮りたいね。国際的に活躍するカメラマンでもなんでもないぼくはドメ専でいいよ。

ぼくが撮るまちはどこか似たようなものが多くて、見ている人からすれば「なんかどこで撮っても同じモンばっかり撮っているんじゃね?」と云われるだろうな。でも、それはぼくにとって望む所なの。説明的に撮ることの方が簡単だよね。そうじゃない、どこへ行っても「ああ、上原のまちだね」って云われるように撮りたいのだから。写真を見てもらって「いい写真だね」って云われることよりも「いいまちだね、行ってみたいな」と云われることが嬉しい。そういうの目指しているし、まちが好きだから自然とそういう撮り方になる。どんな画角のレンズを使ったのだろう、という絵よりも、目で見て感じる距離感、手触り、匂いが感じるように撮りたいのだし。きっと、ぼくは路地裏徘徊で終わる写真家であろう。でも、日本中のまちを見たいという欲求は持ち続けているので、またふらりと出かけるんだろうな。嬉しかったのは和歌山でも東北のことを気にかけて応援してくれていたことがわかった。ああ、日本はいいよね、そう感じるシーンがいっぱいありました。

そして何と云っても地方のローカルな私鉄。もの凄く頑張っている。地元の足を確保するその尽力たるや、もう泣けますよ。この三月一杯で廃止になる青森県の十和田観光電鐵は地元の方からさえも「もう、必要はないかも」と棄てられてしまったが、どっこい、まだまだ小さな鉄道が奮闘している姿も味わいたいと思いますね。それだけでも旅する理由がみつかります。あとは資金。また働いて頑張ってどこかへ行こう。今年はもうキツいんだけどw

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2012年2月18日 (土)

ガン見されるw

P1000298きっと魚にも悩みはあるんだろうが、オッサンだって色々あるんだよwこいつはじっと見つめていると向こうも目を逸らさない。いいね、真剣勝負だよ。最近、今ひとつ写真にも燃えきらなくて自分自身に苛立つ日々なのだけど、誰かと真剣に向き合えば答えが出てくるような気もする。自分がどうしたいのか、どうなりたいのかという具体性があるようでないこともあるんだけど、やはり歳取ったんだろうなあ、とか思うわけ。

最近やたら人生振り返ることが多いのだけど、何をやっても中途半端に終わってしまったんじゃないか。高校を出てすぐにカメラマンへの道を歩んだものの、転々とスタジオ勤務やらアシスタントやら、はたまた結婚式場のスタジオにいたり、色々あっていつの間にか会社員やって、それもそれなりに大きな会社にいたのだけど、エラくなりそうもない立場故煮え切らないままに辞めたような気もする。夢はあった。高卒で中途採用の契約社員が頑張って正社員になったのが入社16年目。とうとう憧れのデジタルカメラ事業の本部勤務になれたのに、蹴って辞めた。あらもったいないw

そういうことじゃあなくて、もっともっと多くの人に写真を楽しんでもらいたいと真剣に考えた。この業界もデジタルカメラで底辺は広がったけれど、じゃあ、本気で写真の世界に踏み入れる人がどれだけいるのだろうか。そういう想いもなんとなくだが空回っている昨今。貧乏も続くw

東北にもっと関わりたいが、そうそう向こうにも行けない。こっちでは色々な場所での町づくりのお手伝いをしようと思っているが、それも関わり方が中途半端で見事に戦力外に。やっぱ真面目に写真家しないとダメですね、と反省して眠る日々なのでした、マル。え。愚痴って終わったww

なんて云っている間もなく、もうすぐあの日から一年。思いを新たにね。
春になったら、また東北の桜に逢いに行きたい。大好きな場所のあの桜たち。いつか、一緒に見せたい人ができたら連れて行くね、と云いつつ何年も経った。ゴメンネ、今年も独りで行くからww


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2011年7月21日 (木)

ご無沙汰でございます

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なんと四ヶ月も放置しており、すいませんでした。色々書きたいことはあったのですが、なんかこうまとまらないというか。

仕事は正直云うと暇です。撮影の仕事、メインでやっていたものがなくなったのでどん底生活送ってますが何か。

個展の準備を粛々と進めているんですが、パソコン壊れるトラブルで何かと困っています。おかげで義捐ポストカードの新規製作ができなくなりました。まあ、それでも個展はやめるわけにはいきませんので準備やってます。というか、毎日仕事以外はほとんどこれに追われているというか。そもそも個展は、昨年に決めたことであり、あの震災があったから個展をするわけではないので、セレクトに悩んでいます。町の写真は記録が大事なんだけど、ぼくはあまり記録的な絵がないのでどうするか、構成をどうするか・・・本当にこれは大事なところで。

膨大なネガを見直し、やっと仮焼きまでたどり着きました。手札版(Eサイズですわな)での手焼き写真を本番とほぼ同じような手間をかけて製作いただきました。展示する写真の倍ほどの枚数を並べ、さらにこれから減らしたり、再び違うカットを探したりの工程を現在行っているのですが・・・なかなか進みませんね。この作業には集中力が必要なので、エイヤッと気合も入ります。ところが、なかなか思うように行きませんね。

ここ一ヶ月ほど体調を崩し、検査したり何やかやでスケジュール通り行かないのです。しかし、仮焼きした写真を見て感じるのは・・・写真ってのは難しいもんだよね、ということ。誤解を恐れずに云えば、撮る行為そのものには何ら難しいものはないと思うのが写真。町を撮るのにテクニックなんか要らないと思うし。感じたまま撮ればいいのであり、どんなレンズを使うかというのは理由付けに他ならないしね。

自然や花、風景の撮影の方がおそらく難しいのでしょう。と云っても、あくまで個人的な感想なのでアレなんだけども、花を撮ることが難しいと思ったことがない。風景もそうだ。ぼくのもう一つの軸である夜の景色でさえ、難しいと感じたことはない。まあ、どうやって仕留めようか悩むことはあってもです。こんなことを書くと「えー、難しいよ」と云う人も多いでしょうが、難しいと考えているうちが楽しいはず。思ったとおりに撮れれば、それは楽しみのうちに入りませんよ。写真というのは結果であり、過程を楽しめなければ写真なんかつまらないものじゃないかとぼくは思うのだけど、いかがでしょう。

とりわけ夜の景色は最初にイメージありき、で、如何にそれに近づけるか考えるのが楽しくて仕方がないわけです。町の写真はどうか、というと、まず町を楽しむことが先決であるわけで、それに以前からぼくが云う、自分の中にある原風景を探す旅というのが面白いのであるから写真そのものが過程であるということも云えます。

お花だって、被写体を見て感じて頭の中に写真の出来上がりがイメージできないとダメだろうと思う。そういうイメージが作れない人は妄想力が足りないw
デジタルカメラというのは、そういう想像力を形にするのには便利なツールであるけども、もしかすると想像力が欠けてしまう使い方もあるわけで、注意せねばとも思いますよ。カメラ任せで何でもできるとか、パソコンであとからどうにでもできる、なんて思ってはいけない。
勝負は撮影の時、あるいは、準備段階で決まると云っても過言ではないです。思ったように撮れる、ではダメで、想像以上の結果が出てきてナンボ、ってのが写真ですよ。そのためにどうするか、が写真の醍醐味なのであります。

ってなことで・・・話が長くなってすいません。

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2011年4月 7日 (木)

感謝

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ポストカードで義援金企画に、多くの皆様よりご協力を頂き、心より御礼申し上げます。あの日から少しづつ「復興」という言葉が多く聞かれるようになり、少しづつ明るい兆しが見えてきたと感じます。いま、本当に日本人が試されていますよね。今回の災害は、けして東北のことじゃなく、日本中が等しく受けた傷だと思えるのです。

世界からも大変暖かい支援を多く頂き、励まされていること、嬉しい気持ちで日本人として誇りに感じます。ただ、こういう時でも日本人は礼儀正しく素晴らしいと云われていますけど、個人的にはおとなしすぎるのかなとも思いますよ。もっと政府には怒っていいんじゃないかと。まあ、それが日本なのか。まあ、身近にも偉そうにしておきながら、心ない人もいるんでちょっと個人的には怒ってばかりの日々だったり。

すべてを運命として受け入れるには、あまりに厳しい現実に、ぼくとしては未だショックから立ち直れないのが本音。前回の更新時に「もう写真をやめようか」なんて弱音を吐いてしまったけど、みなさまには余計な心配をおかけしてしまい申し訳ありませんでした。でも、そう云ったのには理由があって、ぼくがカメラを持つようになったことに由来します。本格的にまちを撮るようになったのは高校生の頃だったけど、その前、借りたカメラで写真を撮ったのは小学生のこと。ハーフカメラ(オリンパスペン)で近所の線路まで行き、蒸気機関車なんかを収めていたのです。そこにあって当たり前の景色が消えた。その後、一眼レフでまちを撮ったりしたけれど、実は青函連絡船を撮っていたんですわ。ぼくは秋田で生まれたけれど、それは母親の里帰り出産のこと。実は連絡船で産気づいたらしい。もし、船で生まれていたら人生どうなっていたか。

そんなわけで、ぼくにとっては青函連絡船というのは生まれて毎年何度も欠かさずに乗ることになって、乗りものというよりも、いわば故郷みたいな存在に近いものであり、これまたぼくにとってはあるべくしてある景色だったのです。

そして、もう一つ。小樽を撮り始めたのは高校生の頃だったのだけど、特に運河周辺の景色が好きでこれもまた色々撮りました。しかし、運河を埋め立てる話が起き、すったもんだで半分埋められ、観光化されました。まあ、全部埋めちゃっていたら今の小樽はなかったんだけども。

そう、自分が好きな場所の写真を撮ったら、全部なくなってしまったんです。確かにまちも交通や環境も常に変わります。でも、ぼくは「なくなるから残しておく」という意識はこれっぽっちもないんです。その証拠に、昔から説明的な記録映像として撮ったような絵がほとんどないということ。(今は、それで思いっきり後悔しているんだけど、こればかりは自分のスタイルなのでしょうがない)もちろん、被写体ってのは常に変化を遂げていて、永遠なんてものはないのだろうけどね。自分が撮ったものが消えてなくなる、という恐怖をものすごく感じてしまい、しばらくカメラを触れなかったんですよ。

正直、ここはぼくのブログだから本当のことを云いたい。今でも怖いんです。今は大きな被害を受けたまちを撮ったカメラたちに触れない。ファインダーを覗けない。何をばかな、と笑われるでしょうが、少し時間が経った今の方がより辛いんです。3.11以来、まだ毎日夜になると涙が止まらない。ぼくが被災した訳じゃないし、現地の人はもっと辛い思いをされて、どれだけ傷ついているのかと思うと自分が情けないくらいなんだけども。なので、できるだけ早いうちに一度東北には行こうと思っています。資金的にキツイのだけど、当面生活に関係のない色々なものを処分してでも、とにかく行かねばと考えています。こういうとき、可処分な時計とかカメラとか少しでも金に換えられるものが役に立つってなもんですw

今回の件が今後の自分の人生においてもとても重要な出来事になりました。ただ、花は散っても、きっとまた咲いてくれる。春が来る。きっと大丈夫だよね。サントリーのCMを見てちょっと元気が出たよ。坂本九さんが生きておられたら、きっと被災地に行って避難所とか回ってみんなを励ましていただろうと思う。まちの灯りが消えても、夜空を見上げてみんなで輪になって歌っていたんじゃないかな。

ポストカード義援金企画は当面続けます。被災地だけじゃなく、東北の絵、全般取り入れてまた作りますので、機会がございましたらご覧いただければと思います。本当に、本当にみなさん、ありがとうございます。

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2011年3月22日 (火)

まちの肖像

Vol00

ここを1月末から放置しておりすいませんでした。書きたいことは色々ありますが、なんといいますか、その。

ネタもたくさんあったんですが、そんなことはどうでもよくなるような出来事で日々頭が混乱。とりわけこの10日間は精神的にも肉体的にもガックリでございました。

正直に本音を云わせて頂くと、もう写真なんかやめようかと思ったんですよ。ええ、だって大好きなまちが、あの様子じゃ精神的にキツイ。それにまちそのもを撮るのがちょっと怖くなったってのも。色々な意味でね。あの日以来実はカメラを持ってまちを撮ろうという気持ちが萎えてきて、まあ写真家なんていうほど偉そうなこともしていないのに、何もできない歯がゆさで押しつぶされそうな毎日を過ごしていたわけです。

でも、そういうことではいけない。自分にできること。小さいけれどやらねばなりません。

ぼくは9月に久しぶりの個展をやります。タイトルも昨年から決まっています。でも、まだどうするか迷っていたけど、これでいきます。個展でセレクトした写真には石巻(雄勝)、女川、気仙沼、釜石、南相馬などの被災地になってしまったエリアが含まれていました。それを外そうか悩んだのだけど、まきまき♪氏に話をしたら「いや、出すべきでしょう」とのこと。

タイトルは「まちの肖像」・・・
肖像と云っても人のことじゃなく(人もあるけど)まちのポートレート。まちが見せる表情を写真にしたんだよ、ということです。ただの景色ではなく、そのまちが持つ匂いとか風情とかをできるだけ見せることができるような絵を選んでいます。既にブログで発表した絵もありますが、多くはお見せしていないものも。どうしてもセレクトには既出のもあります。こればかりは、今回の災害を踏まえてお見せしなければならないという写真があります。

そんなわけで、ただいまポストカードで義援金企画もやっていますが、秋の準備もやっています。小さな(ページ数が少ないw)マガジンも発行していきます。とりあえず、今は無料で配布する「まちの肖像 Vol.00」が。希望の方は今後、お会いできたら差し上げます。たった4ページのなんてことのないものだけど。

そんなことで、やってます。

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2011年1月31日 (月)

いやだぁあああああ(w

ある日のことだ。いつものように撮影後のフィルムをお店へ現像に出しに行く。ほどなく仕上がってきたプリントの上下に黒いフチが・・・

白抜き文字には「フィルムは販売終了になります。デジタルカメラへの移行を・・・」

うわあああああん!!ヽ(`Д´)ノ

※あくまでもフィクションだからwツイッターでRTや拡散しないようにww

Img022

いや、最近のテレビを見ていると、もう不愉快になって仕方がない。そうよ、うちはアナログテレビだよ。今年の7月には見られなくなるんだよ。

いいよ、そのアナログ放送終焉を録画してやろうじゃないかw

なんてことはともかく、テレビはデジタルチューナーを使えば、まだ何とかなるんだけども、もし、フィルムがなくなったら今のカメラはどうしょうもないわけで。中古カメラ店は廃業・・・ってなことはないだろう。むしろデジタルカメラの新製品がドカドカ出るから、ちょっと前の機種はお買い得だ。まあ、店主のポリシーでデジタルは扱わない、という中古カメラ店もあるから。

それよりも、だ。もし「フィルム生産中止」なんてアナウンスが出た日にはアナタ、あの憧れのライカがだよ「190,000円 → 1,900円」ってなことになるかもしれない。そのほかの、とりわけ歴史的に何も価値のないカメラは0円でワゴンに転がっているとか。それよりも問題はフィルムカメラを多数持っている人だ。インサイダーみたいにフィルム生産終了情報をこっそり聞き出し、高く売れるうちにカメラを売り払う奴が出てくるはずだ。もちろん、カメラのインサイダーなんぞで逮捕されることはないだろう。

なので、とにかくフィルムを使わないとなりません。なくなってしまっては困るんです。

ということで、お知らせです(前置きが長ぇよw)
フィルム一本勝負写真展 in 美唄 のお知らせ。

第58回美唄雪んこまつりが2月5・6日(土日)に開催されます!

今回はフィルム一本勝負の7名フルメンバーが事前に美唄の街を撮ったものをこの日に展示します。また、メンバーそれぞれ撮影日、撮影地点が異なっています。いつものフィルム一本勝負とは趣が異なりますが、素顔の美唄、それもエリアが広いのでメンバーが散らばるように。(ただし、複数メンバーづつエリアがある程度重なっています)はたして、その成果とはどんなものでしょうね。実験的な意味合いもあるので、今回の展示を他の町でも行えるかどうか、あるいは声がかかるかww

展示は美唄の歴史を写真で紹介するコーナーと共催です!
美唄市経済交流推進課のブログでも紹介されました~~

あと、明日の北海道新聞空知版にも出るみたいです!

そんなわけで、週末はぜひ美唄へ遊びに来てください。懐かしい町並みをフィルムカメラで写すというのも楽しいですよ。ちょっと旅気分で美唄にお越しください。おいしい美唄グルメもいっぱいありますよー!おまつり会場はは駅前からまっすぐ歩いてくるとすぐわかります!手作り的なまつりなので、ぜひ皆さんも盛り上げてくださいww

ぼくはこの子と一緒に美唄を撮りました。

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ちょっと色あせたような渋い色の仕上がりですww

はたしてどんな美唄があるのやら・・・
どうぞお楽しみに!

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2011年1月15日 (土)

ほぼネガ捜索完了

ここしばらく個展用のネガを一生懸命探しまくっていたら、また30年ほど前のネガなんかも見つかって、けっこう楽しめました。引っ越しの整理で昔のものを見つけると進まなくなるアレですwいや、そういうことしている場合じゃないけど、昔の写真は随時あっちでだそうかと思ってます。(いや、もう出しちゃったのもあるんだけどね)

ネガを色々見つけてセレクトにこれから入るわけですが、これも相当時間がかかりそうです。当たり前ですが。ただ、自分が選ぶ基準をどうするか、まだコンセプトが定まりません。写真展のタイトルは決まっていますが、中身なのですよねえ。写真展だと、説明書きなんかもないから「純粋に写真だけを見せてナンボ」なわけです。写真なんだから当たり前なのだけど、ドキュメンタリーじゃないので自分の思いをダラダラ書き綴るわけにもいきません。

ぼくは写真というものは見る人の想像力を奪ってはならない、と考えます。したがって他人がどう感じるか、それを押しつけることも好ましくはないと思うので、写真のセレクトに神経を使うのです。ブログ仲間の「しゅんろ~」さんの記事に共感するものがありました。見る人の期待度を気にして写真を撮っている訳じゃないので、時としてはそれを裏切ってしまうかもしれない。それでも自分が見せたいものを見て頂くしかないわけです。写真というのは、読む力も要求されます。いや、読めよ、という強制力を発効するつもりはさらさらないんですけどw

誰かを喜ばせようというほどの余裕がありませんので、そこは一つ撮り手が楽しんでいると解釈頂ければw特に町の写真っていうのは誰でも写せます。高度な技術はまったく要りません。「うわー、これ苦労して撮ったんだろうなあ」なんていうものは(おそらく)ないと思います。
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この富山、魚津駅前のイルミネーションもけして凄いわけじゃないけれど、きっとみんなの目を楽しませようと思ってやっているのでしょう。少しでも寒い冬を楽しませようという作り手の思いは感じます。どう感じるのかは自由なので「しょぼい」とか「きれい」とか様々なんだろうなあと。あと、写真家ですから、いろいろな写真をたくさん見て、目を養う必要性は感じています。音楽を聴かない音楽家はいないし、本を読まない小説家もいない(だろう)でしょう。なので、町を撮るってことはできるだけ多くの町を歩かないと絵に出来るはずがないということ。

写真にして人に見せるということは、少なくとも何らかの町の匂いとか、その町だけが持つ独特の魅力とかを伝えたいと思うのです。子供の頃家の近所にあった曲がり角のタバコ屋、そういう原風景を探しつつ、また町を歩きたい。たぶん、死ぬまでずっと歩くんだろうな。いや、歩きたいな。

などと色々膨大なネガを目の前にしてあれこれ考えて頭が痛くなりました。よって、銭函に逃亡してこのブログを更新していますww

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