2009年3月19日 (木)

ちぇんじ・したけど。

本日某小学校の卒業式の撮影。朝早くから行ってきましたが、やはり人生の節目の記録はこっちも緊張するもんです。いや、もう気合いが入り過ぎで疲れました。

終わって画像のチェックと整理、CDを焼いて...と、なんだか急に眠気が襲い爆睡。

その後、かねてから計画していた携帯電話の買い増し。機種変更とも言いますが、今は買い取りだし高いし分割だし(爆)。

実は、私、ケータイはシンプルじゃないと嫌なんです。しかも、スライド式が好きで。その昔はずっとPanasonic使っていましたが、会社のケータイが三菱になって以来、スライドがお気に入り。三菱は文字入力や電話帳検索、メールの使い勝手も実によろしい!のに、撤退しちゃったもんで選択肢は限られます。

Panasonicから三菱ユーザーを取り込もうとしているのがミエミエの機種があって、大抵のショップで「あ、Dをお使いでしたら、これですよね」と勧められるのがあるのだが、どうにも玩具っぽくてイヤだ。もう、まんまDっぽいんだけど、違う。

で、さ。やっぱデザインで好みならN04だった。

Dscf0255

あの「amadana」のコンセプト携帯なのであります。
薄い!かっちょいい!

んが、スライドオープンしないとメールも電話も使えないってのは、買ってから気がついた。

いや、何か方法はあるんだろうが、よくわからん。

因みに色は一応ピンクらしい。ケータイはモノトーンとか嫌いなので、過去も色付きばっかりなのです。でも、最近の携帯はなかなかいい色がないのだな。

とにかく余計な機能も使わないしゲームもしない。なので、シンプルで美しい携帯がもっと増えて欲しいと思うのです、はい。

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2009年1月13日 (火)

今だから話せるデジタルカメラのお話【9】

このお話も楽しみにして頂いている方がいらっしゃるので、続けますが、10回で区切りをつけますね。デジタルカメラ黎明期のお話なので、もうそろそろかなって。

今回のお話は「画質向上」についてのお話です。

デジタルカメラ、それもコンパクトタイプの画素数がどんどん大きくなって300万画素を超えてきたあたりから各社の画質傾向の違いがはっきりしてきました。
実際300万画素あれば、A4でプリントしてもちゃんと鑑賞すべき距離をおけば十分じゃないかと思えていたものです。
しかし、しかしです。コンパクトカメラで大切なのは光の導入部とも云えるレンズですよ。ここでハッキリ差が出るのです。レンズの解像度、というものがありますが、150万画素のFinePix700の発売の際に高解像度のレンズを設計し直す必要があったことを述べました
ところが、各社から発売された300万画素クラスのカメラでレンズの解像度があきらかに追いついていない機種が相当ありました。この頃は、某カメラ店で、発売されている機種のほとんどを同じ条件で撮影するテストを私が受け持ったのです。驚きました。あまりにもレンズがひどい。
まあ、自社でレンズを設計、製造までしているデジタルカメラメーカーがほとんどなかったわけですから。ましてやセンサー、画像処理回路までをすべて自社開発、製造していた会社は某社だけだったような。

レンズはレンズ専門メーカーが発売しているものを購買で調達し、組み込むのが当たり前でしたが、それでは性能が発揮できなかったのではと思います。
レンズはコストを落とすために便利に使われていたとも云えます。本来は画像処理やセンサーにコストがかかりますから、手っ取り早く出来合いのものを組み込めばいい、それも安価なものを。ってな具合だったんでしょう。
デジタルカメラの画質は入射する光からセンサーへ絵を展開するわけですが、レンズありきで画像処理を設計していたのだろうかと疑問が残ります。
逆光ではまともに絵が出ない家電(というか、その、なんていいますかw)メーカーのカメラとかありましてね、もう他の会社ながら怒りが込み上げて来たものです。買ったお客さんを失望させるようなカメラを販売していいの?
写真は「想い出を記録するもの」としてどうあるべきなのか。

空の青、樹木の緑、人の肌色。これを嗅ぎ分けるカメラじゃないとだめだ。FinePixが人工知能とも云えるイメージインテリジェンスを導入したのもその理由からでした。

例えば新緑の青々とした緑、樹木の種類によって微妙に異なる色相の変化を再現できるか。それが出来るようになったことが大きかったけど、それって販売するときの宣伝では伝えにくい部分でした。でも、いい。買ったお客さんが満足してくれれば、という想いがありました。
(実際、サンプルで店員さんに見せると驚かれましたからね)

最近、本部長さんがFinePix F100fdを買われたそうですが、その画質に驚いていました。FinePix10周年記念モデルでしたから、今までの技術を全部詰め込んだ良心の塊みたいなカメラです。私は持っていないんですけどね、辞めたあとのカメラだったし(笑)。

デジタルカメラの画質はセンサーの解像度だけでは決まらない。そんな当たり前のことをもう一度見直さなくちゃならん時代かもしれません。
あまりにも画素数が増え過ぎて、単純に画質が画素数で語られる昨今ですからこそ、ちゃんとデジタルカメラの画質について考えて欲しいのです。

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FinePix F100fd クリックで横900ピクセルになります。



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2008年12月29日 (月)

今だから話せるデジタルカメラのお話【8】

<高機能カメラの登場>
デジタルカメラが一般的に広がってくると、当然各社の新製品がヒートアップしてきます。単焦点のレンズが一般的だったデジタルカメラも、ズーム付きが登場します。
今では最低でも三倍ズームクラスのレンズを搭載しているデジタルカメラが当たり前ですが、1999年頃はまだ単焦点が多かったんです。
コンパクトタイプでもズーム付きが登場すると、さらに高倍率ズームのデジタルカメラが発売になりました。2000年には、一眼レフを意識した高機能モデル「Finepix 4900z」が発売になり、作品づくりを本格的に行うユーザーに人気がありました。
しかし、このモデル実はやはりというか、業務用やプロにも使われました。相変わらず医療関係ではズームがついたことで手術の記録などにも使われました。業務用では、新聞社にも使われ始めたのです。新聞社なら、一眼レフじゃないの?いえいえ、新聞社のカメラマンではなく一般の記者や支局の記者、それに地方新聞や業界新聞などでは専属のカメラマンがいませんのでアマチュアにも使える高機能なカメラが必要になったのです。そんな用途にはFinePix 4900zが非常に好都合だったようです。
その後、このシリーズは「FinePix 6900Z、S602、S7000」へと進化を続けますが、途中面白いエピソードがありました。一般的にこのクラスのカメラは新型になれば小型軽量になるはずなのに、6900ZからS602へモデルチェンジした際に大きくなっています。その理由は「小さいカメラだと、はったりが効かない」のだとか。というのも、新聞社などで取材に行くと、コンパクトなカメラで行くと「えー?カメラってそれですかぁ?」なんて取材先でバカにされる事もあったとか。また、機能が多くなってしまうとボタン類の操作がしにくいということもあり、操作もしやすく本格的なカメラに見えるデザイン、とのことでプロの方などの意見を取り入れて設計されました。
当時は、やっと本格的な一眼レフも発売になっていますが、まだ300万画素程度でしかも60万円ほどの価格でしたから、このようなFinepix Sシリーズが業務用途に非常に多く使われたのも納得がいきます。残念ながら今では一眼レフが安価になっているので、この手の一眼レフに見える高機能型デジタルカメラは、あまりニーズがない時代なのかもしれません。
高機能とはちょっと指向が異なりますが、デジタルカメラにミュージックプレーヤーを内蔵させた「FinePix 40i」が発売になったのも、この頃でした。appleのiPodが発売になる一年前でしたから、なかなか進んでいたのではと思いますが、スマートメディアに音楽をダウンロードするため、まだ高価だったメモリーカードが多数必要になることもあって本格的なプレーヤーに変わる事はありませんでしたけど。
今のデジタルカメラは高画素競争に終始している感じがありますが、遊び心があったこの頃のカメラは、なんとなくホンワカしちゃうんですよ。

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2008年12月27日 (土)

今だから話せるデジタルカメラのお話【7】

本日ニ発目。なにせネタがこれからも少なくなりそうで。

<高画素の問題>
メガピクセル、つまり100万画素を超えるデジタルカメラが一般的になると、カメラとしての性能が求められるようになってきました。ただ写ればいい、というだけではなく機能や性能もユーザーは求めてきます。カメラである以上画質、そして発色が大切になってきたのです。100万画素を超えれば当然プリントという需要が出てきますから、それは当然だったのです。
そして、1999年、時代は200万画素へ。FinePix2700は700譲りのコンパクトなデザインを持ちつつ、高画素化を果たしました。富士フイルムの「画質優先指向」が評価されて人気も凄かったです。その人気を支えていたのは藤原紀香さんのコマーシャル、ということもありましたね。
ここで面白いエピソードを。今だからこその話ですが、彼女のスチル撮影、つまりカタログや販促に使用するものに使う藤原紀香さんの撮影を行っているスタジオでの出来事です。撮影の合間、休憩などの時間に彼女が自らFinePix2700を持ち、色々撮影して遊んでいたらしいのです。時には自分の顔を写したり、それも口をタコみたいにしてヘンな顔を撮っていたんですよ。それは、その時、スタッフも気がつかなかったようでした。
なぜ、それが解ったのか。実は、その時に使われていたデジタルカメラは本社の備品だったんですけど、その後、とあるお店へデモ機として貸し出されたのですが、
なんとデータが消されることがなく、そのままお店へ。驚いたのは店員さん。「うわー、なんだこれは!!」こりゃ、流出したら色々問題でしょう、と消したそうです。もっとも、そんな妙な絵ではなかったんですけどね。良識ある店員さんでよかったのですが、消す前にこっそり4カットだけプリントしたんですな(笑)。その写真を私、見せてもらった事があるんですけど...いやー、藤原紀香さんって本当に飾らない人であることがよくわかる写真でした。

さて、高画素化による問題点も色々出てきました。それはデータ量の多さによってパソコンが追いつかないことが多かったのです。実は、当時、まだサポートセンターが稼働せず、ユーザーからの問い合わせはすべて営業所に回ってきました。カタログや説明書には本社だけではなく、各営業所の電話番号も載っていた時代です。(家電メーカーは基本的に問い合わせ用の電話番号しか載っていません)おかげでDS-20あたりの発売から営業所の電話はデジタルカメラの問い合わせで大変でした。
特に多かったのがパソコンへの画像転送で、非常にこれが大変だったわけです。まだWindows98とかの時代ですから勝手にファイルを認識して取り込むようなガイドはありません。また困ったのは札幌営業所の電話番号が本社の次だったから、本社にかけてもつながらないとばかりに札幌にバシバシ電話がかかってきました。ナンバーズディスプレイですから電話番号を見ると、北海道外、それも九州からの問い合わせなんかも多かったです。
札幌では電子映像、それもアマチュア向けのスタッフは私ともう一人しかおらず、一度着座してデスクワーク始めると、もう電話対応に追われて毎日ドタバタでございました。お店へ聞いても「うちは売るだけなので、詳しい事はメーカーへ」と投げ出す量販店ばかりでしたからね。
どうやってもわからないから、なんとかして!と怒り出すお客さんも少なからずおりました。もう、電話の向こうで泣いている人も。私は何度か、お客様のご自宅まで出向いて操作を教えましたよ、もうどうしようもなくて困っている人も多くて。あるおばあちゃん、「本当にありがとう!」と手を取って喜んでくれてお土産だとみかんやら落花生なんかを持たせてくれてね。
まあ、それほどパソコンへ画像を入れてサクサク動かせるなんて、まだ難しい時代だったのかもしれません。画素数が大きくなれば、そのままワープロや表計算に貼付けるととんでもないことになっていましたから。おかげで、デジタルカメラ以外にもパソコンソフトの操作まで教えなくちゃならないことが続きました。マイ○ロソフトさん、サポート料頂くよ!!ってね。

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2008年12月23日 (火)

今だから話せるデジタルカメラのお話【6】

<時代はメガピクセルへ>
1997年は、様々なメーカーからデジタルカメラが発売になりました。この頃は凄かったですね、もう「このビジネスチャンスに乗り遅れるな!」とばかりに今までガーガー眠っていたようなメーカーなんかも飛び起きて、デジタルカメラという名の高速電車へ飛び乗ったような印象があります。カメラメーカーはもちろん、家電メーカーも続々発売を開始。ソニーや松下(現パナソニック)は当然、日立、三菱、東芝、シャープ、NEC、三洋、ビクター、エプソン...小規模な通販主体のメーカーを含めれば30社ほどのブランドが入り乱れ始めましたから。特に松下は松下電器の他、九州松下、松下寿電子からも発売されたんで、もうムチャクチャですわ。
まあ、それらのデジタルカメラの画質はどう?って聞くだけ野暮なモンがどっかどか。しかも、困った事に記録メディアもスマートメディアの他に、インテルがぶち上げたミニチュアカードなんてーのもありました。結局すぐにポシャったんですけどね<ホント困るよ、こういうの。
その各社デジタルカメラを乗せた高速電車をぶっちぎったのがメガピクセル、つまり100万画素のデジタルカメラ。いや、すでに一眼レフで100万画素オーバーはDS-505などで売られていたわけですが一般に手が届いた機種ではなかったのです。「DS-300」は248,000円で140万画素ということで、非常に話題になりました。大きな筐体でしたが、新聞社や出版関係、ジャーナリストにも使われたカメラでしたが、まだ液晶モニタを内蔵していなかったのです。しかし、オートフォーカスが非常に正確で確認しなくても信頼できるほどの高性能でした。それはそうです。このDS-300は、富士フイルムの中判カメラ「GA645」をベースに作られたカメラだったからです。

Fuji1
そしていよいよ決定版ともいえる「FinePix700」が1998春に発売になります。130万画素、スタイリッシュなFinePix700は、それこそ爆発的に売れました。各社が弁当箱のような100万画素機だった頃に、シャツのポケットにも入る大きさの130万画素デジタルカメラでしたから。このデザインはソニーさえ悔しがったと聞いています。
このPC-Watchの記事は山田久美夫さんが札幌に来られた時に撮影したもの。そのとき、夜に一緒に飯を食いに行ったんですけど、まあ、山田さんってば本物のオタク(笑)でしたね。もう、話が弾んでオーディオの話とかすっげー濃い話題で盛り上がりました。

FinePix700は超小型メガピクセルの先陣を切ったカメラでしたが開発にはかなり苦労したと聞いています。まずレンズですが、高画素に耐える解像度を持つレンズは相当苦心したのです。当時、フィルム一眼レフのレンズで解像度が50本/mm前後でした。(一ミリの中に白黒の線が何本解像しているか、という定義です)小型CCDでメガピクセルを実現するには150本/mmは必要だったとか。そこで、170本/mmを達成したそうです。
このFinePix700の絵は、ブログ程度なら今でも十分使えるんじゃないかと思います。もう、発売した時は、あまりの反響で電話問い合わせでパニック状態だったんですよ。因みにこの歴史的なFinePix700のシリアルナンバー000001は札幌にデモ機としてやってきました。試作品、でしたが正真正銘の一号機。しかし、同僚が転勤の時に「これは絶対に譲れない」とばかりに持って行きました(爆)。くっそー!!まあ、きっと彼の会社の机の中にひっそり眠っているんでしょうが。

また、このFinePix700が発売されたとき、もう一つの仕事が私を待っていました。

建設CALSという言葉をご存知でしょうか?ニッポンの工事は金がかかり過ぎだよ、と米国からの内政干渉(笑)で、工事の入札、発注、設計、施行、そして進捗状況、から完成までをデジタル化してデータベースを構築せよと。当然工事写真はデジタルOKになりました。この流れに、とりわけ土木業者が大慌て。国の発注工事が、いずれすべてCALS/ECへ向かうというので準備をしなくてはなりません。そこで富士フイルムは工事用デジタルカメラを発売します。
FinePix700をベースに、一部機能を変更し防水防塵、そして大型フラッシュを内蔵したケースへ入れるスタイルにしたDS-250HDを発売しました。フィルムの工事用カメラはコニカの現場監督にやられっぱなし、だったんでデジタルでは絶対にイニシアチブを取るんだ!という大号令のもと、「オマエは三都主(サントス)だ!」と私は上長からワケワカの指令を受けて建設業界へぶち込まれました。まったく畑違いの業界に飛び込んでしまい、北海道建設業協会を始めとする、各市町村の建設業協会へ飛び込み営業やったり、建設関連の機材を扱う商社と一緒にお仕事をさせて頂きました。
とりわけ建設CALSソフトを扱う会社とは親密に連携し、各地の建設CALSセミナーへ一緒に出向いて説明をしたり、北海道内の職業訓練施設へ講師として工事写真セミナーを行うなど、徹底的にやったおかげで工事写真用デジタルカメラBIGJOBシリーズは大成功をおさめました。売り上げも、東京、大阪に続いて全国三位を叩き出しまして、日々かなり忙しかったです。なにせ建設CALSそのものの勉強もして、業者さんへセミナーをするほどまでになったわけですから。
その後、BIGJOBシリーズのDS-230HDという機種では、私を含む業者さんたちの意見を取り入れて頂いたカメラへと進化しました。個人的に、この建設CALSの仕事がとても楽しかったですね。クレームなんかがあったら現場までふっ飛んで行くほど大変でしたが、ユーザーの顔を見て仕事ができることに幸せを感じていましたから。

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2008年12月22日 (月)

今だから話せるデジタルカメラのお話【5】

話はいよいよ一般向けデジタルカメラへ行きます。はっはっはー。

<一般向けデジタルカメラ元年>
1995年はDS-220やDS-505という業務用として充実したデジタルカメラが発売になった年ですが、カシオからも「QV-10」という一般向けのデジタルカメラがとうとう発売になりました。25万画素で液晶モニターを内蔵していたため、撮影した画像がすぐに見られるというデジタルカメラのメリットを最大に活かしたこのQV-10は大ヒットしました。画質はともかく(笑)63,000円でしたからね、今なら携帯電話に付いているカメラよりも酷かったのに、まあ、これを買った人はエラいです。
パソコンへ画像を入力してワープロなどに挿入する用途がいよいよこれで可能になったんですが、パソコンへ入力するケーブルやソフトが別売だったのです。しかもMacとWindowsは別々のソフトが必要で、それぞれ12,800円だったそうだ。ん、これはその後も他社でも同様だったんですけどね。ただしメモリーカード式ではなかったんで画像がいっぱいになったら消すしかなかったわけです。
そして1996年にいよいよ一般向けのデジタルカメラの決定版、富士フイルム「DS-7(Clip-it)」が発売になります。スマートメディアを初めて採用したデジタルカメラです。いやー、この時は驚きましたね。なんじゃ、コレ、切手みたいな大きさで2MB?ほー、すっげーなー、と。
富士フイルムが出したんだから、そりゃあ35万画素でも妥協しない絵でした。その画質評価は、PC-Watchに載っています。まあ、当時からいい色で写せたんですから、その後のFinePixへ受け継がれて当然ですね。

実は、このDS-7の発売の陰には私たちの悪戦苦闘がありました。色々なところから期待されていたDS-7、今まで数十万円もした業務用デジタルカメラと遜色ない画質だという評価が先行して流れたおかげで受注数も多く、あとは発売日を待つだけでした。実際、試作機を家電店やカメラ店、業務用途先へ説明に持参しても「すごいね、いいね」という声。
ところがある日、量産先行機が届いて、同僚がそれを持ってデモに行った時の事。会社に戻った彼が「あのさあ、これおかしいんだよ」...ん?どれどれ...
『何じゃ?』...
不具合が見つかりました。ううーん、どうなんだ、これ。このまま出荷してもいいのか?それとも、このカメラだけの問題か?ならいいのだが。しかし、どうしても気になる私。同僚と協議して上長へ報告。とりあえず、本部の技術担当課長へ電話すると「はぁー?何言ってんの。そんなことないでしょ」ハナっから信じない。まあ、技術関係のエラい人ってプライドが高くてたかが地方支社の人間のことなど聞く耳持たないんだな。そもそも、私がこの手のカメラ技術に詳しいなんて知らなかったみたいだから。
当時はまだ社内ネットワークもなかったし、メールもなかった。しかし、私たち電子映像を担当する人間と本部とは、Macintoshを使った「リモートアクセス」というネットワークがあったんです。これは一般の電話回線を使って他のMacとフォルダなどを共有するシステム。昔からMacはこういうネットワークが進んでいましたね。ただし、アナログ回線しかない時代、ISDNなんてまだ引かれていないもの。
それで、問題ありのDS-7の撮影画像を本部のフォルダへぶち込んだ。すると、技術担当課長から電話があって「これ、本当か?」...やっと気がついてくれました。そこで本部が一斉に全国へ指示したんです。「全品検査せよ」と。
はい、出荷直前、いよいよ発売が秒読みになった寸前、倉庫に同僚と二人で向かいすべてのDS-7をチェックしました。その数、数百台。問題なしの箱には◎印、まあ、問題ないでしょうが△、完全にダメなものはX印の付箋をつけて。出荷はまず◎印を。もし、足りなくなったら△。Xは本社へ返品しました。
おかげでDS-7は大ヒットしましたが、もし不具合をそのまま出荷してしまったら、かなりダメージが大きかったと思います。未然にそれを発見し、防いだ私たち札幌の部隊は本部から「ご苦労さん」と一言だけねぎらわれて終わりましたが(爆)。しかし、その後「札幌にはウルサい奴がいるんで気をつけろ」と言われるようになったのはその後のお話ですけど。

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2008年12月20日 (土)

今だから話せるデジタルカメラのお話【3】

始めたからには続けます(爆)。止まらないから。文字ばっかでつまんないでしょ?
でも、ね、たまには読み物も悪くなくってよ〜

さて、前回の続き、医療向けのお話をするならば少々お話を遡る必要があります。デジタルカメラが出る前に、実は似たようなカメラがあったのをご存知でしょうか。「電子スチルカメラ」と云いまして、これをぶち上げたのは天下のソニーさん。「マビカ」というカメラを1981年に開発発表したんですよ。いわゆるフロッピーディスク、それも小型の2インチディスクを用いてビデオの静止画を記録するもの。これには写真界に激震が走り「マビカショック」という言葉さえあったんです。つまり「フィルムの要らないカメラがやってくる!」と、写真業界は大慌てだったんです。「ああ、もうカメラ店はだめだ!」と、早々閉めた店もあったんですよ、どんだけショックかと(まあ、他に閉めた理由もあったんだろうが)。
この規格、フロッピーディスクに静止画像を記録しますが、ビデオ映像の静止版ですから当然アナログ。日本のテレビ放送(アナログ)は一コマが1/60で出来ており、これを二枚合わせてようやく一枚の静止画になります。この1/30の映像を「フレーム」と云います。1/60はフィールド、と呼ぶのですが、まあ、この話はいいか。
その電子スチルカメラが実際に業務用途に販売されて、ソニー MVC-C1、キヤノンなどからも発売になりました。富士フイルムは1987年に「ES-1」という電子スチルカメラが発売になって、これが実質、富士フイルムの電子カメラ一号機になるわけです。うちにあるから、見たい人見せてあげます(爆)。

この電子スチルカメラやシステム達が、医療関係者、それも歯科の目に留まった訳です。なので、電子スチルカメラの用途は圧倒的に歯医者さんが多かったんです。デジタルカメラは、この電子スチルカメラよりも高画質で、なおかつ将来を見据えたシステムとして開発されたものです。富士フイルムがこんなもん作ったら、フィルムが売れなくなるでしょう、なんて言われたものですが、富士フイルムがやらなくてもソニーがでてくることは目に見えていましたし、早くやったもん勝ち、ということだったのではないかと思います。
実際、このデジタルカメラによって写真の世界はこんなにも急激に変わることになるとは、当時は予測していなかったのです。

デジタルカメラの発売により、電子スチルカメラやシステムは姿を消しますが、まあ一般の家庭には普及することもなく消えてゆくのは当然だったと思います。富士フイルムのサービスで「写真をテレビしましょ」という「テレビフォトシステム」も発売したんですが、まったく売れませんでした。今で云えば「フジカラーCD」みたいにネガや写真から2インチのフロッピーディスクに画像を記録して、テレビフォトプレーヤーで見る、というものです。このプレーヤーも全然売れなかったんですが、社員の結婚式に引き出物として使った人がいて大ひんしゅくだったらしいです(爆)。(マジで結婚式場のゴミ捨て場に捨てた人もいたって)
まあ、その後もAPSというフィルムが出たとき、現像したネガをテレビで見るプレーヤーが発売されたけど、やっぱり売れなかった(^^;懲りない会社。

このような電子スチルカメラを経てデジタルカメラの開発につながったわけですが、まあ、皆さんの知らない製品がいかに多くこの世にはあったということですよね。電子スチルカメラだって、そんなに売れなかったし、おまけに量産ができず、当時仙台の工場で一台一台職人が手作りをしていたんですから、ずいぶんアナログな世界でございました。

写真業界というのは比較的規格がコロコロ変わらないシステムを考えますが、家電業界は本当にユーザー無視のエゴむき出し規格競争をやっては失敗を繰り返しますね。古い所ではビデオのVHSとβ、テープレコーダーのエルカセットやDATとDCC、レーザーディスクとVHD、最近ではHD-DVDとブルーレィ...消えてゆく規格を支持した人は哀しいっすね<ワシはβユーザー
デジタルカメラも、家電業界にイニシアチブを取られると「ヤバい」ということもあって写真業界も真剣に戦っているのです。

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2008年12月19日 (金)

今だから話せるデジタルカメラのお話【2】

デジタルカメラのお話続きます。まだまだ高価だったデジタルカメラですが、普及機が1993年に発売になりました。DS-200Fは「DIJE(ディジェ)」というネームが付けられ36/72mm相当の二焦点、やはり30万画素相当のカメラです。そしていよいよ1995年にJPEG準拠、メモリーカードもPCカードを使うタイプである「DS-220」が発売になりました。DS-200Fとほぼ同じデザインでしたが、中身はがらっと変わっています。CCDもデジタル静止画像専用のもので、RGB原色タイプを初めて使用しました。それ以来、富士フイルムのデジタルカメラはすべて正方画素、原色RGBフィルターを採用し続けますが、これが「決定的」になることは、また後のお話になります。

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やっと安価になってきたデジタルカメラですが、まだ一般的な家庭用途に使うようなものではございませんね。なにせメモリーカードの値段、20MBで12万円!ですよ。20GBじゃないですから(笑)。今なら20MBなんて何にも使えないですわ。おまけにカードリーダー、つまりメモリーカードをパソコンへ読ませるもの、ですが8万円ですよ!今なら2000円もしないのがありますよね。
んで、このデジタルカメラは後に「やっと液晶モニターを外付け出来るようになる」のですよ。え、まだモニターなかったんですか?...はい、当時液晶モニターなんか高いし、小型のは粗くて、おまけに電池が持たないし実用には不向きでした。

さて、このカメラいったいどういう人が買ったのでしょう。一番のお客様は医療関係、それも歯医者さんだったんですよ。歯科では歯の治療のために写真を撮影することが多かったんですが、フィルムではいかんせんすぐに見られないしデータベースに使うには難しい。ならば、これを使おうか、なんてお金のある歯医者さんでは一種の「先端医療」ともいえるわけで、他の歯医者さんと差別化ができたわけです。なのでアクセサリーに接写用レンズとか、後にマクロフラッシュなども発売されたのですよ。
それでも、実際にパソコンへ画像を保存されている方はあまりいなかったかな。ほとんどはテレビに接続して見るだけ、という使い方が多かったのかも。そして、当時流行っていたビデオプリンターに接続してプリントアウトなんぞして喜んでいた歯医者さんもいましたっけ。でも、画質は...酷かったですねえ。
因みにこのカメラ一式「ポン」とお買い上げになった小樽のお客様がおりました。小樽市のZ町にある、今は名前が変わりましたが海岸のすぐそばにあるお店でメニュー撮影に使いたいとのこと。納品、設置に行きましたよ。いやー、もう高価な投資ですよね。今なら携帯の画像より落ちる絵なのに(笑)。
もちろん、このカメラは画期的な用途にも使われておりました。医療用、それも手術の模様を記録して遠隔地の病院と画像診断システムを構築できたということでしょうか。地方の病院で難しい手術をしなければならないが、なかなか術例がない、しかし患者さんを搬送するのには時間がかかりすぎる遠隔地の診療所、Dr.コトーみたいなものですよ。(彼は何でもできる天才でしたが)そこで、患部などを撮影し大学病院へ伝送して指示を仰ぎながら手術するという方法です。実際、富士フイルムでは一般電話回線用の画像伝送機(電送じゃないのよ)を作り、販売していました。ただし、まだ光回線はもちろん、デジタルのISDNだってなかった時代。この静止画を送るだけでけっこう大変でした。通信プロトコルなんかも勉強しつつ、苦戦して何度もテストをしたものです。ホント、今思えば難しい仕事をやっていたもんですわ。これだもん、今のデジタルカメラなんか簡単でしょー(爆)。

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2008年12月18日 (木)

今だから話せるデジタルカメラのお話【1】

私がここのブログでデジタルカメラの事を「デジカメ」と略さない事に気がついている方はいました?(笑)「デジカメ」は三洋電機の登録商標ですから、他社は使う事ができません。ただし、固有名詞として一般化してしまったので、普通に雑誌やウェブで使うには問題がないということ、それに他社が自社の固有の機種を指さない限り一般的に使う事は認められています。例えば富士フイルムでも「デジカメプリント」と呼ぶ事は問題がないという事です。
それほど「デジカメ」が一般化された昨今、私の経験を踏まえて、今だからお話しできることをちょっとづつ掲載して行こうかなと思います。つまんない話はスルーして下さい(笑)。

1991年、今から17年前に世界で初めてのデジタルカメラが富士フイルムから発売になりました。その機種「DS-100」は画素数わずか30万画素、しかも記録方式は独自方式でJPEGなどではありません。それは当時、デジタル画像など扱えるパソコンがほとんどなく、JPEGなどという記録方式がまだ確立しない時代でした。

Fujixds100

しかしDS-100は三倍ズームで、レンズ交換は出来ませんが一眼レフ形式だったことで使い勝手は悪くありませんでした。ただし、まだ記録するためのメモリーカードも規格がなく(当たり前ですが)独自のメモリーカードでした。8Mbit(メガバイトではない)、つまり1MBでカードの価格も設計段階では100万円とか云われており、しかもコイン型リチウム電池を入れておかなければ画像が消えてしまうというものでした。フラッシュメモリーが開発されるまで、あと少しという段階だったのです。デジタルカメラのメモリーカードは東芝との共同開発で、たまたま私の従弟がそれに携わっていたこともありました。当時、彼から「極秘だから言えないけど、オマエの会社と何やらやっているらしい」とこっそり打ち明けられました。「知ってるよ、デジタルカメラ用のフラッシュメモリーカードだろ?」と私。「えーっ、何で知っているの?」...そりゃ、当たり前ですって(笑)。当時、COCOMという対共産圏輸出統制委員会の統制もあり、デジタルカメラは大変機密性が高いものでしたから、開発部署も出張でこっちに来る場合、本当にアタッシュケースに手錠をかけて持ってきました。また、空港で中身を見せる事も拒んで別室でこっそり、っていうケースもあったとか。

因みにこのDS-100、確かカメラ本体55万円、パソコンへ画像を転送するためのプロセッサーというのが必要で、これまた50万円、メモリーカードが1MBで20万円くらいだったかと記憶しています。誰が買うんだよっ!と突っ込まれそうでしたが、デジタルカメラは、まだ特殊な業務用として発売されていた時代です。一般的なパソコンでは画像の取り込みなどできる訳もない時代でした。(画像データは30万画素で約900KBでしたが、それでも当時は扱えないほどのとても大きなデータだったのです)画像データはCMPという規格で拡張子も.cmpでした。因みにデジタルカメラは、当時ビデオ出力からの映像をキャプチャする方式が一般的で、直接画像をデジタルで読み込むケースは少なかったです。なぜならば、画像を扱えるパソコンはMacintoshしかなく、それでさえ100万円もしたんですから。その画像展開にはadobe photoshop用プラグインが必要で、それまた数万円(爆)。今では当たり前のPhotoshopのVer1.0が発売になったばかりで、それもMac用しかありませんでした。

このカメラは北海道で数台しか売れませんでしたね。購入したのは企業で、データベース用にお使いでした。パソコンの高度な知識がなければ、セットアップもできない複雑さが私たちを泣かせる事になりましたけど...
そのDS-100、会社を辞める時に後輩に「廃棄処分にするよう」命じましたが、今思えば世界で最初のデジタルカメラでしたから保存すればよかったかなと後悔しています。ただし、稼働させることができませんので、仕方なかったかな。

-2-へ続く(いつになるか)

※富士フイルムから新しいネガカラー発売になります。びっくりですね、まだどっこいフィルムは頑張っていますよ!ぜひ使ってみたいです。

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2005年12月 7日 (水)

さいならP。

D1010001本日携帯を機種交換。思えばFOMAに変えてからあっという間の一年だったのねー。なんだか一年ってミョーに早すぎない?で、昨年MOVAのP505iSからP900iVに変えた。同じPだから安心♪なんてのが間違いの元だった。使い勝手が悪くて本当に泣いた一年。漢字変換がバカ。だって「渋谷」って普通一発で変換されるでしょう?それがね「支部や」とかが一番に来るの・・・使わないってば。他にもバカ変換多数ありで、もうまいった。文字候補は▼を長押ししなくてはならないし、文字を入力中行きすぎた場合戻すのにも面倒だった。他の動作へ移るのにもレスポンス悪し、おまけに自動電源のオンオフがない!とにかく気に入らないことばかり。どうも中身はNなんだそうで、Pじゃねーんじゃん!と怒りながら使っていたのだ。で、今回は会社で支給されているDにした。D902iね、色はパールイエローで隣の席の人とお揃いになってもーた...本当はピンクにするつもりだったんだが、さすがにこの年でピンクの携帯はヤバイ。いや、ワシだから許される....されないよな。薄くて使いやすいし、文字変換もいい感じ。フォントが見易いのも助かるけど、FOMAは電池の持ちはやっぱりダメみたいだなあ。これが泣き所か。でも、カメラ性能が凄い、さすが某社のスーパーCCDハニカム、写りがすげえ。
んなわけで、来年もまた変えるんだろうけどそれまではいい子にしておいてねー、と祈るのだった。画像はリサイズしちゃったけど、早速試し撮りした時計台でございます。

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