« 2011年3月 | トップページ | 2011年7月 »

2011年4月 7日 (木)

感謝

Kesennuma1_5

ポストカードで義援金企画に、多くの皆様よりご協力を頂き、心より御礼申し上げます。あの日から少しづつ「復興」という言葉が多く聞かれるようになり、少しづつ明るい兆しが見えてきたと感じます。いま、本当に日本人が試されていますよね。今回の災害は、けして東北のことじゃなく、日本中が等しく受けた傷だと思えるのです。

世界からも大変暖かい支援を多く頂き、励まされていること、嬉しい気持ちで日本人として誇りに感じます。ただ、こういう時でも日本人は礼儀正しく素晴らしいと云われていますけど、個人的にはおとなしすぎるのかなとも思いますよ。もっと政府には怒っていいんじゃないかと。まあ、それが日本なのか。まあ、身近にも偉そうにしておきながら、心ない人もいるんでちょっと個人的には怒ってばかりの日々だったり。

すべてを運命として受け入れるには、あまりに厳しい現実に、ぼくとしては未だショックから立ち直れないのが本音。前回の更新時に「もう写真をやめようか」なんて弱音を吐いてしまったけど、みなさまには余計な心配をおかけしてしまい申し訳ありませんでした。でも、そう云ったのには理由があって、ぼくがカメラを持つようになったことに由来します。本格的にまちを撮るようになったのは高校生の頃だったけど、その前、借りたカメラで写真を撮ったのは小学生のこと。ハーフカメラ(オリンパスペン)で近所の線路まで行き、蒸気機関車なんかを収めていたのです。そこにあって当たり前の景色が消えた。その後、一眼レフでまちを撮ったりしたけれど、実は青函連絡船を撮っていたんですわ。ぼくは秋田で生まれたけれど、それは母親の里帰り出産のこと。実は連絡船で産気づいたらしい。もし、船で生まれていたら人生どうなっていたか。

そんなわけで、ぼくにとっては青函連絡船というのは生まれて毎年何度も欠かさずに乗ることになって、乗りものというよりも、いわば故郷みたいな存在に近いものであり、これまたぼくにとってはあるべくしてある景色だったのです。

そして、もう一つ。小樽を撮り始めたのは高校生の頃だったのだけど、特に運河周辺の景色が好きでこれもまた色々撮りました。しかし、運河を埋め立てる話が起き、すったもんだで半分埋められ、観光化されました。まあ、全部埋めちゃっていたら今の小樽はなかったんだけども。

そう、自分が好きな場所の写真を撮ったら、全部なくなってしまったんです。確かにまちも交通や環境も常に変わります。でも、ぼくは「なくなるから残しておく」という意識はこれっぽっちもないんです。その証拠に、昔から説明的な記録映像として撮ったような絵がほとんどないということ。(今は、それで思いっきり後悔しているんだけど、こればかりは自分のスタイルなのでしょうがない)もちろん、被写体ってのは常に変化を遂げていて、永遠なんてものはないのだろうけどね。自分が撮ったものが消えてなくなる、という恐怖をものすごく感じてしまい、しばらくカメラを触れなかったんですよ。

正直、ここはぼくのブログだから本当のことを云いたい。今でも怖いんです。今は大きな被害を受けたまちを撮ったカメラたちに触れない。ファインダーを覗けない。何をばかな、と笑われるでしょうが、少し時間が経った今の方がより辛いんです。3.11以来、まだ毎日夜になると涙が止まらない。ぼくが被災した訳じゃないし、現地の人はもっと辛い思いをされて、どれだけ傷ついているのかと思うと自分が情けないくらいなんだけども。なので、できるだけ早いうちに一度東北には行こうと思っています。資金的にキツイのだけど、当面生活に関係のない色々なものを処分してでも、とにかく行かねばと考えています。こういうとき、可処分な時計とかカメラとか少しでも金に換えられるものが役に立つってなもんですw

今回の件が今後の自分の人生においてもとても重要な出来事になりました。ただ、花は散っても、きっとまた咲いてくれる。春が来る。きっと大丈夫だよね。サントリーのCMを見てちょっと元気が出たよ。坂本九さんが生きておられたら、きっと被災地に行って避難所とか回ってみんなを励ましていただろうと思う。まちの灯りが消えても、夜空を見上げてみんなで輪になって歌っていたんじゃないかな。

ポストカード義援金企画は当面続けます。被災地だけじゃなく、東北の絵、全般取り入れてまた作りますので、機会がございましたらご覧いただければと思います。本当に、本当にみなさん、ありがとうございます。

| | コメント (4)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年7月 »