2015年2月 3日 (火)

一応。

放置していましたが、もったいないので一言。

過去ログに出てくる様々なカメラ、レンズはもう処分してほとんど手元にはありません。
この前の記事のシグマもです…時代はうつろいますね。
時代も季節も何もかも、人の心模様さえ。でも、変わらないものもあるんじゃないかな。それが何かは人それぞれ。ぼくはどうだろう。

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2012年12月 7日 (金)

SIGIMA 19mm F2.8 EX DN 〜もしかすると名レンズ?

Sigma19

ずっとご無沙汰ですいません。写真専門ブログの方が何かと楽なもんでw(こっちは文章とかメインですからね)

昨今の話題はとにかく忙しい(フリ)とお金がない(本当)なので、ろくにフィルムさえ買えない、現像できない、プリントできない、という三重苦を味わっておりますwwそんな中、相変わらずパナのLUMIX GF3はいつどこにでもついてくる(いや、お前が横着なんだろ)カメラなのでスナップはほとんどこいつに頼りパナ氏いや、頼りっぱなしなのだ。だって、それなりに写るし、色もいい。好みの色合いが出るものね。RAW現像ソフトはシルキーピクス(パナ限定しか動作しない)があるんで、絵作りの自由度も広い。レンズも当初からある28mm相当の14/2.5、ズームの14-42、そして無理して買ったLEICA DG SUMMILUX 25mm 1.4があるんでまあ、当分はいいんじゃね、と思っておりました。しかし、頭の中かに何かが引っかかる。マイクロフォーサーズ連合は合同で立派なレンズカタログを製作しているので、寝る前に「ちらり」と見ると、ああ、色々選択肢があってええのう、MFTさすがや、とかちょっと自慢気味に(誰にねん?)ふんふん〜♪と思っていた。レンズ専業メーカーである、シグマ、トキナー、タムロンが正式にMFT陣営に参加するってことは、更にこのレンズ群が充実する事は明らかだ。それも優れた個性ある単焦点や高倍率ズームが出るのだろうか。

GF3を持ち歩いた街は和歌山、東北、旭川、小樽などで、徘徊しつつスナップ中心に撮っているんだけど、もう使うレンズの大半がLEICA SUMMICRON 25/1.4ばかりになってしまった。間違いなく良いレンズだし、繊細でボケも美しく、独特の描写をする1〜4m辺りの接近戦では被写体が「さあ、お撮りなしませ」とばかりに上品に思えてくるから凄い。ま、描写も素晴らしいしRAWではいかようなレンズにも化ける。それも基本的な描写があってのこと。

ところが、28mm相当の14mm/2.5があって、標準の25mm/1.4というと、何かが足りない。そう、35ー40クラスのレンズだ。あ、ズームならおまっせ、転がってますやん。じゃなくて単焦点。そのレンジはぼくが最も町を撮る時に使っている焦点距離だ。手持ちのレンズでは圧倒的に50mmクラスが多いんだけど、カメラを初めて最初に使ったのが諸般の事情でオートニッコールの35/2.8だったこともあって、町を撮るには程よい緊張感がって好きな画角だ。事実、ぼくが東北でモノクロ入れて撮り歩くカメラはコンパクトカメラのRollei35(40ミリ)、京セラT-PROOF(35ミリ)、COTAX T2(38ミリ)、ベッサR3A(40ミリ)というカメラが多い。つまり35〜40ほどの画角が自分には合うらしい。50ミリが一番最近は馴染んでいるが、まち歩くならちょっとだけ広い方がいいかなとか。

そんなわけでGF3にも14と25の間が欲しい。そう思ったらオリンパスの17/2.8がある。パナの20/1.7は名玉の誉れは高いが25に近すぎる。そこに突如現れたのがシグマらしいと云えばらしい、19mmと30mmのどとらもF2.8と、これまたパナとオリにハナでクスッと云われそうなレンズだ。見た目もパンケーキにはほど遠く、ダブルチーズハンバーガー程の迫力はある。画角的にはオリの17がいいかと調べたら、どうにも歯切れが今一の評価が多い。まあ、アレだね1.8の上位機種も出るし、そっしでしょうとね。はいはい。見ましたよ、そのオリ17/1.8の描写。凄いね、カリカリ梅だね

でも、ぼくには今ひとつ萌えなかった。解像度は高いし、ビシッと写る、過ぎる程写る。オリはその傾向で行くんだからいいよ。足りないのは「艶っぽさ」である。ぼくが広角に求めるのはウエット感、それも濃いのをww誤解無きように、オリの45や75はスゴイ官能的な絵が出る。見事なウエット感で、おっさんはドロドロに融けそうだよ。どうもオリの広角系は乾いた写りがするような気がするの。12もそんな感じで、大変驚く程写るんです。でも、たたきだす質感がどうにも・・・馴染めん。

それにシグマは元々APS-CのソニーEマウントと共通して販売する事になっているし、自社のコンパクトカメラDPシリーズにも載せるとのこと。じゃあ、マイクロフォーサーズには余裕で贅沢なレンズじゃナイのさね。確かに構成は6群8枚だってよ。ひゃー、ですね。

とりあえず、なんか急に欲しくなってしまい、町にはこれだよな、とぶつぶつ云いながら買ってしまった。じゃ、能書きはいいので使ってみましたわよ。なにせ心配なのは描写だもん。

P1040031

はい、RAWで周辺落とし、コントラストを強めに入れ、尚かつ色の彩度をかなり落としました。シグマ、もの凄く濃い色が出ます。それも妖艶で脂っこいの。なのでパナのレンズを使った処理よりさらに彩度を落とさないと自分の好みにはなりません。おそろシグマ。狙い通りのウエット感もそれなりに出るし、線が太めなので町にはいい。パナのレンズとはキャラがかなり違って面食らった感じ。倍率色収差も比較的出るし、全般的にはタル型の収差も残る。でも、それほど気になるレベルじゃない。だって2万円しないんだよ、このレンズ。

いやー、好み。濃いね、ガシッと、ガツンと行くね。まさにぼくの望み通りに写ってくれますよ。画角の38ミリ相当って、フィルムのコンパクトカメラにもよくあった画角だし、ぼくにとってはモニターを覗いたら目がぐるんぐるん、調子良く回って、どんどん撮って歩いてしまう。寄ってもいい、引いてもいい。明るさは2.8とやや不利だが、35/2.8をトライX400使ってどんな条件でもビシビシ撃っていた20代の頃を思い出すね。あとレタッチ耐性に優れたレンズなのでシャープネスを入れたり抜いたり、お好みでやっても絵は破綻しない。

結論から言うと、町の最強スナッパー。しかも開放からそのまま撃ってよし。ボケ味は癖がある。いいんじゃない。LEICA DG SUMMILUX 25に対する、もしかすると8枚玉のSUMMICRON的な絵の違いったらわかりやすいかな。電子補正に頼れないためJPEGで撮ってもストレートなレンズの素が出る。実にアナログテイストな雰囲気さえ感じさせてくれる描写が気に入ったら「買い」だと思うよ。ミラーレスのオリンパスやパナソニックでズームのキットレンズしか持っていない人は、まず単焦点に何を、と云う場合にも間違いなくお奨めできる。これで写真のお勉強もできますよ。

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2012年4月13日 (金)

自分が良ければそれでいいのだ

P1020069最近の話だけど若い写真をやっている人が、ちょっとウルサい人に云われたそうな。「ハーフ判で作品なんか作っちゃダメだ。デジタルも画素数の高いのを使わなきゃダメだ」ウッセーなwその人の作品意図でフォーマットは決まるんだから放っといてくれよと思う。ぼくもハーフを使うこともあるし、中判の時もある。どう被写体を表現するか、で原版サイズを決めているというしかない。あとどれほどの大きさで見せるか、というのもあるしね。絵画だって表現したいものや意図でキャンバスの大きさが決まるだろ。ユルいからハーフ、ってなことじゃないし、高精細な絵を見せたいから中判にした、という決まりもない。このサイズで撮りたい、見せたい、ってのがあればそれでいいじゃないか。

確かに風景などは高精細な絵で見せられるといいよね。ラージフォーマットで撮られた絵は確かに違うのだ。でも、スナップや町の情景はどうかといえば被写体の捉え方でハーフの方がいいなってこともあるんだよ。写り過ぎはけしていい結果をもたらすとも限らないんだ。(一昨年富山でハーフを使ったのも、この町はハーフで表現したいって思ったからだ)
もっと云えば別にデジタルだって画素数に依存せずに甘い方がなんとなく情感が出ることだってあるんだからさ。そりゃ500万画素程度のカメラで全紙はキツいかもしれないが、だからと云ってダメだとも云いがたい。昨年の秋に小樽で写真展を行ったフィルム一本勝負展、一番大きなA1サイズの絵は300万画素程度にスキャンされたデータから作っている。近寄って見れば荒さはあるが、元がフィルムのせいもあって画質面で文句を云われたことはなかった(と思う)。

そういうことじゃないんだ。作品ってのは、さ。ぼくの町の絵は白飛びしたのもあるし、黒がつぶれているのもある。それは別に飛んだからってそこを見てくれ、とも思わないし、つぶした所はつぶれていい箇所なのだ。一応講師だから風景なんかじゃ諧調は大事だとは云うよ。でも、それだって見せたい部分がちゃんと意図されているなら、そこさえしっかり表現すればいいんじゃない?と思うね。

ぼくはリバーサルをあまり使わないけど、町の写真はネガでいいと思っている。カラーなら彩度の高い絵は要らないし、自分の好みで仕上げたいと思うから。デジタルでも町の写真は彩度を落とした設定にしてあるし、晴れの日と曇り、雨など天候が異なればAWBなどの色再現を変えている。リバーサルの時代であればフィルターワークで変更するのは常識だったので、面倒だとも思わない。つまり自分の色や諧調表現が大事なのであって、画質の問題じゃあないのだ。ことさら最近はデジタルカメラのアートフィルター系が流行っているけど、あれも一過性で次第に飽きる。下手すりゃブログで同じようなトーンの絵が溢れていたりするわけで。某社のドラマチックトーンがいい例だね。別に気に入ればそれを使うのは構わないが、それで自分の個性とか云うなよwカメラの個性だからww

写真展の会場で「いいアートフィルターをお使いになりましたね」とか褒められても嬉しくないだろう。あるいは機材を褒められたって全然嬉しくないわな。絵の展覧会で「いい筆、いい絵の具を使いましたね」って作家に云うかい?書の展覧会で「すばらしい墨汁ですね」なんて云ったら作家に殴られるかもねw機材の自慢を写真展会場で云う奴は中身がないと思われちゃうよ。

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2012年4月12日 (木)

秋田の空を想う

札幌に住む母の姉、ぼくの叔母が亡くなった。

さきほど通夜の席から戻り、一人叔母を忍ぶ。

ぼくの母は8人兄弟で、すぐ上の姉を頼って秋田から札幌へ住んだ。
母も札幌で結婚したのは叔母の存在があったからだ。

叔母はしばらく子供に恵まれず、ぼくが生まれたときとても可愛がってくれたと聞く。
その後女の子、ぼくの従妹が生まれ、ぼくらは兄妹のように育った。

従妹はぼくの小学校時代の同級生と結婚してしまったのだが、その同級生とはとあることで疎遠になって以来、叔母の家へ行くことも少なくなってしまった。それでも叔母はいつもぼくのことを心配してくれ、ことあるごとに「早く再婚しろw」と囁いていた。従妹は二人の子供を生み、叔母の家で生活して孫に囲まれ幸せだったと想う。それゆえ、ぼくもあまり心配していなかったのだけど、病魔が襲っていたことを先日初めて聞かされた。

今日の通夜には秋田から親戚や叔父、叔母たちも来ると思っていたのだが、来られたのは神奈川に住む叔父だけだった。考えてみれば母の兄妹はみな高齢でなかなか動けないという。長兄は90になるわけだから致し方ない。神奈川の叔父は末っ子でまだ身軽に動ける年齢だ。

驚いたのは母が兄妹皆に電話をしたら異口同音に「姉さんが枕元に来た」と云っているらしい。ぼくはあんまり死後の世界というものを理解できないのだが、やはり兄妹の絆はあるんだろうなと目頭が熱くなる。たぶん、叔母は秋田へ帰りたかったんじゃないだろうか。

母と叔父がしみじみ話をしている時に「おばちゃんも秋田へ帰りたかったんじゃないか」とぼくは云おうと思ってやめた。嫁ぎ先の親戚などが居る前では云いにくかったのだ。いつか、母と叔母を車に乗せて秋田まで行こうと思っていたのだが、それも叶わなかったのが悔やまれる。

あれは数年前、秋田の有名な醸造元で購入した醤油と味噌を土産に叔母を訪ねたとき、とても喜んでくれて帰り際にお小遣いをぼくに渡してくれた。いい加減、そんな歳じゃないしと断ろうとしてもポケットにねじこんでくれたことが最後の想い出だ。

おばちゃん、秋田の空へ還ってね。

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2012年4月 7日 (土)

覚悟

Imgp2029昨年9月に車の事故により一部破損したカメラの修理が先日完成した。修理に要した時間が半年間かかったわけではなく、相手保険会社との決着に時間を割かれた、というのが実情。こちらの被害はハッセルブラッド本体とレンズ、D700水準器センサー不良、およびズームレンズがたつき。(ニコンのAF-S 14-24/2.8Gなので本当にヤバかった。比較的軽傷で済んだけど、ニコンに云わせれば「この手のズームはユニットごと交換しなくてはならないので修理代が高価になるおそれがある」と。最近のズームレンズは高価なものでもプラスチック鏡銅であり、ダメージを受けると怖い。なんだかなあ、それ)正直、カメラは道具であり嗜好品と云えるかどうかはその人の価値観にすぎないことが、こういうことでよくわかる。フィルムカメラなんか、もう完璧な嗜好品の部類なのかもしれない。フィルムを使うことが好き者扱いされるのは嫌だが、今時ねえ、なんて云われるとつらい。そのフィルムも市場がどんどん狭まり、コダックが破綻した時にある程度はやむを得ないと思ったものの、まさかリバーサルが全滅するとは思わなかった。モノクロやネガは供給続ける、ということだ。まあ、世界中のアーティストも困るだろうしね。

富士フイルムは以前、ライバルでもあり先輩だったコニカミノルタの写真事業撤退に寄せて異例のニュースリリースを掲げ話題になったことが記憶に新しい。(ちなみにこの文面を書いたのは元の同僚である)平成18年当時のリリースだけど、それからすでに6年も経ち、フィルムを取り巻く環境はさらに悪化していると思う。正直、ぼくは覚悟をしている。例え明日にでもフィルムがなくなっても歯を食いしばるしかないことを。どんなにフィルムを残したいと思ってもラボインフラがなければそれも難しい。フィルム用の乳剤、つまり薬品が製造中止になることもある。事実ベルビアはそれで一度生産を終了したのだが、再販売を望む声が大きくて代替えの薬品を使い復活させたのだ。

フィルムはネガというオリジナルがあることの安心感は大きく、とりわけモノクロでは絶対だと思うのだ。版画でいう版木である。デジタルはどうだろう。RAWがオリジナルなのだろうか?いや、コピーがいくらでも作れればそうとも云いがたい。でも、ぼくはデジタルカメラの誕生から関わって来ているから否定はもちろんしない。デジタルが問題なのは保存性だけだ。ええ、ネガより褪色もないしいいんじゃね?と思うだろうが記録メディアが問題だからだ。現在DVDが大量データ保存にもっとも手軽で便利だと云われているけど、残念なことに20年以上保存できるのか,今はまだわからないのだ。(そもそもDVDへ記録する物質変化の仕組みが解明されたのってつい最近だって、どういうこと?w)HDDは当然永久のものではないし、CDだって怪しい。その他消えて行ったメディアを揚げればかける機械がなければどうしようもない。

カメラもデジタルならずっと使える保証もない。使い続けたくてもメモリーカードがなくなったり、バッテリーが劣化して代替えが無くなったらその時点でおしまい。そもそもメモリーカードへ保存している画像だっていつかは消える。ってことは写真っていったい何なの?ってことだ。ハードに依存する写真はダメだ。いくら格好いいことを云っても記録にもならんってのは困る。写真は一過性の趣味や嗜好品で終わっちゃ困るんだよね。

そういう覚悟をいつも持って撮らなくちゃならんというのは、正直、疲れるんだけどね。考えなきゃいいじゃん,と思うがそうも云えない。いつかはぼくもこの世からいなくなるけど、その後の写真はどうなるのか。いいや、死んじゃったらその時点でもういいよwってのも寂しいよな。カメラへフィルムを詰めるとき、いつまでこの神聖な儀式が行えるのか、ぼくは気になって仕方がないんだけど、フィルム一本撮り終わる頃には忘れている。今はただ、ひたすら撮ることだけを考えようか。

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